宮島再発見22005年10月23日 14時15分46秒

第一回 世界の著名な植物学者が住みたがった島 (講師:関 太郎)
講座についてはこちら→http://www.suzugamine.ac.jp/opencollege/2005/shougai2/s1601.html

関先生は,宮島にある広島大学の自然研究所所長を長年務められ,1980年代には一年間アフリカのケニアへ植物学指導のために赴任された経験を持つ。

関先生の恩師である堀川芳雄氏は仙台の吉井義次氏に師事し,吉井氏は1924年12月,Hans Molischと共に宮島を訪れた。そのときMolischは珍しい苔を発見し,Schiffnerに標本を送り,Pycnolejeunea molischie Schiffner という新種の苔として発表した。のちに津山尚が Tuyamaella molischie S.Hattori (モーリッシュシゲリゴケ)と名付けたらしい。昔はたくさん宮島でも見られたらしいが,今は,ほとんど見かけなくなった。大気の変化によると考えられる。ちなみに,最近は鹿が食べる植物も変わってきているとか・・・

ハンス・モーリッシュ 著,瀬野 文教 訳
「植物学者モーリッシュ 大正ニッポン観察記」草思社 2003年
(原題:Im Lande der Aufgehenden Sonne 直訳:日出ずる国にて)
学術書とは別に一般向けにモーリッシュがドイツ語で書いた本。近年になって邦訳されたらしい。

1913年7月 Adolf Engler来日。下関からまず宮島を訪れ,京都・奈良・箱根を経由して東京へ向かう。小石川植物園で東京帝国大学の植物学のお偉いさんたちと撮った記念写真は残っているが,宮島での記録は残念ながら残っていない。宮島で泊まった「宮島ホテル」は戦後火事で焼けて宿帳が残っていないし,訪日の翌年には第一次世界大戦が始まり,ドイツが混乱の時代を迎えたため記録を残すことが出来なかったのかもしれない。アフリカの植物を長年研究した後で宮島を訪れたエングラーの目には宮島の植物はとても魅力的だったらしく,また,エングラーの植物分類では最も原始的な植物とされるヤマグルマが宮島にあったことも影響してか,「ここに住んで,ここで死にたい」と言い残したと伝えられる。

マツクイムシの被害が見られるようになった頃,林野庁は害を受けた松はどんどん切り倒していた。しかし,広大の研究所にある松は研究のため(と言いつつ,実情は木を切るための費用がかかりすぎるのが理由だったらしい)被害を受けた松を切らずにそのままにした。その後,林野庁は伐採ではなく耐性のある木を増やそうとする策に転換し,研究所に残る枯れそうで枯れていない松を調べに来た。調査の結果,その木はとても強い耐性を持っていたため,種を採取し,育てて「スーパーマツ」として売り出した。この木が強い耐性を持っていたと言うことは,宮島の山が植林によって出来たのではなく自然のまま残されていたため,同じ遺伝子を持つ松ばかりの山ではなくていろいろな遺伝子を持つ松がはえていたということ。

宗箇松一代目は空襲の目標になることをおそれて切り倒され,二代目はマツクイムシで枯れ,三代目はスーバー松が植えられて,現在生育中。

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