宮島再発見22005年12月11日 21時02分50秒

第四回 歴史を語る宮島小路探索(船附洋子先生)
前回,宮島も埋め立てが行われたことを聞いたが,今回は江戸時代に埋め立てが行われる前に海岸線がどのあたりにあったのかを,町を歩きながら聞いた。
昔の船着き場は,現在の桟橋の少し西側にある要害山あたりだったらしい。存光寺の横に百雁木(石の階段)が残っていて,海からここを上がり海岸伝いに「山辺の小径」を通って厳島神社へ参拝していた。
その後,埋め立て地ができて「町家通り」を通るようになった。宮島では土砂災害が起こるたびに埋め立てを行ってきたらしく,「表参道商店街」海岸線の道がだんだんとできていったということだった。
山辺の小径には「鳥居松」というお花見スポットもあったらしく,お花見をしている様子を描いた古い絵が残っている。

高校生の頃「宮島の神様は女の神様で,アベックで行ったら別れてしまうから行ってはいけない」と友だちが言っていた。が,これはまことしやかにささやかれていた作り話で,昔,宮島に花街があった頃,奥さんに来られては困る殿方が作り出した話ではないかという。

昔,宮島の猿はエサのない時期に町へ下りてきて,民家の屋根の瓦をはずし,瓦の裏に棲んでいる虫を好んで食べたらしい。猿は食べた後で瓦を元通りに戻してはくれないので,雨の日に雨漏りして瓦がずらされたことに気づく家が多かった。で,考え出されたのが大きな「猿瓦」。普通の瓦の4〜5倍はあろうかというくらい巨大な瓦を屋根の頂に重しのように並べてその下に並ぶ普通の瓦をめくることができないようにした。

そのうち,撮った写真を使ってHPにまとめたいけど・・・・無理かも・・・

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